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福岡高等裁判所 昭和43年(く)66号 決定

被告人 井手忠利 外二名

決  定

(被告人氏名略)

右の者らに対する監禁、強要被告事件(福岡地方裁判所昭和三六年(わ)第一一〇二号)に関し、昭和四三年一一月二六日福岡地方裁判所がなした提出命令に対し、福岡地方検察庁検察官北島敬介から抗告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

原決定を取消す。

被告人らの弁護人諫山博、同木梨芳繁及び同林健一郎(連名)からなされた検察官保管にかかる被疑者住友、同吉田に対する背任被疑事件の捜査記録(供述調書及び取調べた資料などの関係資料一切、並びに福岡検察審査会の議決にもとづく再捜査記録をも含む)の提出命令の請求は、これを却下する。

理由

本件抗告の理由は、記録に編綴の検察官北島敬介提出の抗告申立書記載のとおりであるが、これを要約するに、

刑事訴訟法九九条二項の提出命令は、同条一項に明らかな如く、その必要があるときに限られるところ、弁護人の主張し立証しようとする事項は、主文第二項掲記の背任被疑事件が起訴すべきにも拘らず、不起訴となつた事実を証明して、被告人らに対する本件起訴が公訴権の濫用であることを明らかにしようとするものと思われるが、右の公訴権濫用の主張は主張自体において理由がなく、背任被疑事件の捜査処理は被告人らに対する本件起訴の当否と何らの関連性も存しないから、右背任被疑事件の捜査記録の提出を命ずる必要はない。のみならず、右の如き立証趣旨の下に、捜査記録の提出を命ずるときは、不起訴処分の当否を裁判所が権限なく審査することになり、捜査権を侵害すると共に、捜査非公開の原則や不告不理の原則にも違背するものというべきである。また、提出命令は代替性なき証拠物又は没収すべき物に限られるべきところ、本件提出命令の対象たる捜査記録は、被疑者、参考人の供述調書等を主とする捜査書類等からなり、前記立証趣旨からみて、その供述内容を証拠にしようとするものであるから、証拠書類として代替性を有し、証拠物に該当しないことは明らかである。

したがつて、右の如き関係にある捜査記録に対し提出を命じた原決定は違法且つ不当であるから、これが取消を求めるというに帰する。

よつて、所論にかんがみ本件抗告記録(弁護人提出の意見書を含む)及び原裁判所昭和三六年(わ)第一一〇二号記録中関係部分を調査し、これを検討するに、

右昭和三六年(わ)第一一〇二号事件の審理において、昭和四三年九月一七日附の証拠調請求書にもとづき、被告人らの弁護人より、被告人らに対する本件起訴が公訴権の濫用によるものであることを明らかにする目的で、福岡地方検察庁が被疑者住友彰及び吉田泰夫に関する背任被疑事件についてなした捜査の実体並びに右被疑者らが右被疑事件につき刑事責任を有して起訴さるべきものであつたにも拘らず、起訴せられなかつた事実を証明するため、証拠調べを求める準備として、主文第二項掲記の如き提出命令の申立をなし、原裁判所は昭和四三年一一月二六日の公判期日において、被疑者吉田らの背任行為の有罪、無罪を確定する趣旨の立証を除くとして、右申立を採用し、同公判廷において検察官に対して前記捜査記録と称するものの提出命令を発していることが認められる。

ところで、刑事訴訟法九九条二項により裁判所がなす提出命令は必要があるとき、同条一項の証拠物又は没収すべき物と思料するもので、差し押えるべき物が一定し、これを指定し得る場合に、提出を命ずることができるものである。すなわち、同条は裁判所が自らなす押収の規定であつて、同条一項の差押は占有を取得する事実行為を含む処分であるから、該差し押えの段階において、差し押えるべき物が特定すれば足りるが、同条二項の提出命令は右の如き事実行為を含まず、提出を命ずる裁判だけであるから、右命令を発する段階において、既に差し押えるべき物が一定し、これを指定し得べき場合であつて、右段階においても差し押えるべき物を指定できない場合には提出命令を発することはできない。しかして、ここに差し押えるべき物の指定というのは、特定の物を受命者の側において判断の余地がない程度に、具体的に限定指摘することであつて、差し押えるべき物を個別的に指定するか、少くともこれが証拠物又は証拠書類にあたるか、若しくは没収すべき物と思料される程度に特定され得る場合であつて、これらの程度もわからない如き概括的表示では足りないものと解するを相当とする。そうでないと、提出命令中に証拠物(又は没収物)以外の物が含まれ、又は審理のために必要(又は関連)がないものまでも含ましめる恐れがあつて、法律が殊更に「指定」を要件として、強制すべき対象(客体)を限定した理由が失われるからである。

そこで、本件提出命令の差し押えるべき物の指定をみるに、被疑者住友、同吉田にかかる背任被疑事件の捜査記録(供述調書及び取調べた資料などの関係資料一切、福岡検察審査会の議決にもとづく再捜査記録をも含む)というものであつて、右被疑事件に関係ある書面、書類又は資料にして検察官手持の集積資料一切というに帰しそのうちには多数の証拠物又は証拠書類が含まれ、捜査記録という単に形式的な名称を付しただけでは、証拠物(又は没収物)に対する個別的指定が全くないので、証拠物以外のもの、又は必要性も関連性もないものも包括し得べきことが十分推認される。してみれば右の如き表示は刑事訴訟法九九条二項の要件を充たさない違法な指定というべきである。

次に、刑事訴訟法九九条にいう証拠物又は没収すべき物とは代替性のない物をいうものと解すべきである。けだし、代替性のあるものは原則として、強制の上押収する必要性を欠くからである。また証拠物(没収物を除く)という限り、その観念は立証機能の側面からみたものであつて、要証事実との関連を離れては存在しないものである。しかして、通常は証拠書類の範疇に入るもの、例えば供述調書であつても、その存在又は状態が証明のために必要とされ、又は供述の再現ができない場合に、これを証拠にしようとする限り、その限度では代替性がないものといわなければならない。

そうすると、一定の立証のために(没収のためではなく)提出命令を発する場合には、その前提たる立証趣旨に現われる要証事実との関連によつて、右の代替性又は必要性がきまることになる。

ところで、本件提出命令の目的物によつて立証しようとする事項は、本件起訴が公訴権の濫用によること(主要事実)を明らかにするため、前記背任被疑事件の捜査の実体、被疑者に起訴相当の刑事責任があつたのに不起訴にしたこと(間接事実)を立証するというものであるから、二段の関連性を考慮しなければならない。そこでこの点につき検討すべきところ、いわゆる公訴権濫用が訴訟条件たるか否かの判断は別として、少くとも、ある事件の起訴の濫用を証明するために、これと犯罪の主体並びに罪質を異にする別件の不起訴処分は、一般に関連性を有するものとはいいがたい。およそ、かかる場合の比較は同種同等の事案を前提とすべきであつて、全く事案を異にするものである限り、犯罪の動機において無縁といえない場合であつても、一方の不起訴をもつて他方の処分の当否を判断することはできない。したがつて、前記背任被疑事件につき被疑者らに起訴相当の刑事責任があるか否かを証明することは、同被疑事件の公訴権行使の当否に関連しても、全く罪質を異にする本件起訴の公訴権濫用の問題にまで関連性を有するものとは解されない。両者の処分が異なるというだけの意味では、右被疑事件以外の不起訴事件でも、殆ど同じような関係にあるといえるので、かかるものを以て具体的関連性があるとは到底認められない。

尤も、右不起訴事件は本件起訴事件の被害者側の所為にかかるというのであるから、被告人らの行為の動機中にこれを詰問する目的も存したとすれば、その犯情等につき関連するものがないとはいえない。したがつて、右被疑事件の成否をもつて、被告人らの情状を立証する趣旨をも含むものとすれば、その証明につき本件提出命令の対象中に包含さるべき供述調書も関連性を有する場合が推認される。しかし、該証明のためには、右供述調書の存在又は状態ではなくて、その供述内容を証拠とすべきものと考えられる。してみれば代替性ある証拠書類の関係にあるから、提出命令の客体たり得ないものといわざるを得ない。

以上の理由により、本件提出命令は差し押えるべき物につき法律の要求する指定をなしていない違法があるのみならず、立証趣旨に現われる要証事実との関連性がなく、且つ関連する範囲内では証拠物たる性質を帯びないものと認められるので、違法にしてこれが取消しを免れない。

よつて、刑事訴訟法四二六条二項により主文のとおり決定する。

(裁判官 塚本富士男 平田勝雅 高井清次)

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